官房長の日記帳

官房長の日常を綴りつつ、趣味の旅とグルメのお話をします。

山形県酒田を歩く

こんばんは。前回のを出してから少々間が空いてしまいましたが。

 

さて、今回はちょっとした観光案内にしたいと思います。

と言いつつもタイトルは詐欺でそんなに歩いていません…

 

酒田というと何を思い浮かべるでしょうか?多分大抵の人は山居倉庫、そしてそれ以上のイメージは湧きにくいかもしれません。

 

かつては北前船の基地として栄え、山居倉庫もその名残としてあるわけですが、今は米どころとして有名でしょうか。山形県内では山形市鶴岡市に次ぐ人口規模で、鶴岡とともに山形県日本海側、庄内平野の中心都市です。

 

さて、鉄研旅行で訪れたわけですが、限られた時間でどこを巡ろうか、山居倉庫は遠そうだから駅の近くでどこか面白いところはないかな、と考えます。(山居倉庫は駅からかなり遠いと思い込んでいましたが、今調べたら徒歩20分程度のようなので行こうと思ったら十分行けたようです)

 

とりあえず腹ごしらえをします。山形県内はラーメン屋が多いらしいです。おいしかったんですが、当時あまり体調が優れていなかったものでちょっと部長に食べて頂きました…


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ちなみに部員の中には自転車を借りて市場にお魚を食べに行った人もいたよう。自転車を使えば山居倉庫へも行きやすかったようです。

 

さて、ちょっと休憩して、「本間美術館」なるところに向かいます。おまえ、旅行に来て美術鑑賞とは優雅だな、とはなりません。ゆったりしていたら時間があまり残っていませんでした。ということでいそいそと美術館に向かいます。駅から徒歩6分ほど。街歩きなどと言いながらこの程度しか歩いていません。すみません。

 

ひっそりとした美術館の敷地に入ります。残念ですが今回は美術鑑賞はしません。主目的は美術館の隣の日本庭園訪問です。日本庭園が好きなので山形でも行くところに困って日本庭園に入ってしまいました。

 

本間氏別邸庭園、通称鶴舞園、だそうです。


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見にくい写真でごめんなさい。僕の好きな雰囲気でした。こういう庭園の魅力は言葉にしにくいな…

 

後でスタッフの方に教えてもらったのですが、この庭園の整備が港で働く人の冬期の雇用に一役買っていたそう。配された石の中には、北前船佐渡や愛媛から運ばれてきたものもあるらしい。この小さな庭園にも地域の歴史が詰まっている。

 

お隣の清遠閣なる建物は、かつて昭和天皇も泊まったという。


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意匠の凝らされたレトロな電灯たちが、確か2階にあった。

 

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そしたこちらは、あまり記憶が定かではないが、離れて見ると雲が浮かび上がってくる襖だったと思う。


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これがいちばん面白かった。花の模様の彫刻の影に、鳥が現れるのだ。遊び心溢れるところだった。

 

時間に追われて急いで回ることになってしまったのが残念だった。いつかまたゆっくり歩きたい。 完

 

 

 

東北駅弁紀行

 

久しぶりの投稿である。なかなか体が慣れない生活だが、如何お過ごしだろうか。

 

旅行記も一段落ついたので、グルメリポートでもする。仰々しいタイトルにしてしまったが、品目は3つである。

 

3つとも去年の夏、鉄研旅行で東北を訪れた時に購入したものだ。旅行中にごはんが弁当ばかりになるのは避けたいので、大抵外食してあまり弁当を買うことはない。この鉄研旅行でも駅弁を買ったのは、記憶の限りでは以下の3つと富山での1つぐらいある。富山で食べたのは美味しかったのだが名前もパッケージもどんなのだったか忘れてしまった…(ますのすしとかではない、肉魚色々入ったオーソドックスな弁当であったことは覚えている)

 

さて、1つ目は仙台駅で購入した平泉うにごはん。一ノ関の斎藤松月堂さんの弁当だが、今回買った仙台の他、盛岡などでも販売しているらしい。
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仙台から一ノ関までの新幹線やまびこ号の車内で頂いた。一ノ関も平泉も岩手県の内陸に位置するが、岩手県沿岸部は言わずと知れたウニを始めとする海産物の名産地である。

 

このウニは蒸しウニらしいが、お味はウニの風味を残しつつもあっさりしており、観光地にありがちな生ウニ丼なんかが苦手な人にはおすすめできる。茎ワカメやイクラも添えられており、飽きることがない。小さな容器なので味に関係なく飽きることはなさそうだが。お値段は覚えていないので確認したところ、1200円だったようだ。もうちょっと高かった気がするが、お得だということだろう。

 

 

うにごはんと同じく仙台駅で購入したのが金華鯖寿司。

 

❬写真は、ない❭

 

調べたところ金華鯖寿司という商品は見当たらず、金華棒鯖寿司というのが出たきた。記憶が危うくて申し訳ないが、とりあえず金華鯖の寿司である。これは地元の駅弁屋ではなくてNRE(要はでっかい会社)製造だが、想定以上に美味しかった。鯖寿司というのはパサパサしがち(※筆者の私見である)であるが、しっかり脂が乗っていた。写真を撮っていないのも鯖寿司をナメてそんなに期待していなかったからである。申し訳ないことをした。これは部長と東北本線普通列車の車内で分け合って頂いた。

 

金華鯖というのは金華山という島の近海で獲れた鯖を指すようだが、調べてみるとそこは神社の神職5名以外に住人はいないらしい。

 

さて、3つ目は日本海側に移って、直江津駅のかにめし。普通列車泊ゆきの車内で頂いた。
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中身も撮れと言いたいところだが、旅行も最後になってくると、食べられたらもうそれでよくなるのだ。そもそも直江津新潟県西部なので北陸とか関東甲信越なのだろうが、東北ということにしておく。

 

これを買ったのは別に深い意図はなく、ただ旅行の終盤にいっぱい食べたかっただけで、衝動的に湧き起こった食欲に従ったのだ。だが僅かに残っていた理性で、富山で昼ごはんを食べることを想定して、軽いものにしておいたのだ。かにめしはあまり食べないものだが、さっぱりしていて食べやすかった。

 

旅行中に弁当を食べるメリットの1つは、外食では栄養バランスが極端に偏りがちだが、弁当は正しく選べばバランスをとれる、ということだが、今回はそういうことは考えていない。

 

 

以上、味の感想や値段感覚はあくまでも主観である。

 

こんな感じで、弁当以外にも、旅先での食事や、マイナー観光地を紹介していけたらなと思っている。

 

 

福岡旅行記

さて、舟下りの船頭さんは若い女性の方であったが、とても元気のよい人だった。船上でお団子を頂いたりしたが、かろうじて雨には見舞われずに済んだ。f:id:kanbocho:20200520225911j:image

桜も大方咲いていた。最後には船頭さんがお歌を歌ってくれた。

 

この堀は、かつてこの地にあった柳川城の防御のためのものだった。今は城跡しかなく、舟下りの終点の柳川藩主立花家のお屋敷周辺以外は、観光地ではない。時々歴史を感じさせる建築物がありながらも、多くはごく普通の住宅である。住宅ともよくマッチした景観であると同時に、水上交通や漁の場としての役割を失った水路は、前時代の忘れ物のようでもある。

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しかし、流石に飲料水としてはもう使われなくなったようだが、地域住民のレジャーの場としては健在なようである。個人でボートを所有している人がいたり、冬にこたつ舟でおでんを楽しむ人もいるらしい。

 

さて、先述のお屋敷の小さな入口に舟は乗り付ける。柳川の観光地というとここぐらいなものだからか、名物の鰻の店はこの周辺に集中している。一度大きな門から敷地外に出て、店が並ぶ通りに向かう。水路の両側に並ぶ店を一通り見て回ったが、水路に橋がかかっていないため、それなりに歩く羽目になった。


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いくつか店の候補はあったが、結局、江戸時代・安政年間創業の老舗、若松屋さんに入った。玄関に入って少し待つと、母屋に通された。流石老舗である、親切なスタッフに導かれ、入り組んだ建物の奥へ向かう。スタッフがやけに多い。繁盛しているようである。私が通された部屋は広い和室で、おっさんの集団と1人のおっさんがいた。


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小さな庭を見られる席に着き、素焼き(白焼き)定食を頼んだ。柳川名物と言うと、一般的には、鰻の、せいろ蒸しなんだけれども。ふっくらと焼き上げられた淡白で上品な鰻を頂いて、一服すると、店を出た。f:id:kanbocho:20200524223954j:image

 


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先のお屋敷に戻り、見学させてもらった。明治に建てられた西洋館からつながっている、金の兜がずらりと並んでかけられている廊下に面した大広間から、庭園・松濤園を一望することができる。広大な池を石組みと松だけで飾っている。
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レストラン棟の2階のベランダからも同じ庭園を望む。


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奥に見えているが、今は、建築物・庭園の見学のみならず、料亭や宿泊施設も併設されているらしい。この施設の奥にも敷地は広がっていたらしいが、雨が激しくなったので見て回れなかった。

資料館に、葵の紋の入った小物が陳列されていた。どうやらかつて徳川一族から嫁入りしていた人の調度品だったようだ。

 

ここの正門から、舟下りを利用した人専用のバスが舟の乗り場まで運行されているそうなので、雨宿りをしてバスを待つ。やってきたバスに乗り込む。運転手は船頭さんでもあるから、舟を操る上に、大型車両の免許も持っているのだろう。私の他は大学生の団体だけで若干悲しくなってしまった。一人旅の哀愁である。

 

バスは舟乗り場までしか運んでくれないので、そこから徒歩で駅に向かう。ホームでしばらく待って、来たときと同じ、特急列車の福岡ゆきに乗る。結局朝が早かったせいで、西鉄久留米で眠りに落ちて、福岡市内の大橋あたりまで起きなかった。


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福岡の駅に着いて、ちょっとうろうろすると、地下鉄の天神駅から博多に向かう。福岡駅では、ロープ柵を導入しようと試験中のようであった。地下鉄の天神駅まで地下道を通って行く。人の波に飲まれる感覚を久しぶりに味わう。ここ福岡・天神は福岡市の中心地の1つで、福岡市の玄関口として有名な博多までは地下鉄で3駅と、少し離れているのだ。

 

柳川でかなり時間を潰して、ゆっくり移動してきたので(特急には乗ったけれど)、博多に着いたのは5時頃だったが、新幹線は7時半なので、ここでも時間を潰さないといけなくなった。わざわざ観光しに来ている旅行で時間を潰すのは変な気分だが、時間があるが故の贅沢とも言える(潰すこと自体はどう足掻いても苦痛だが)。


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駅をうろうろしてみるが、これでは始めて上京(東下り)してきた人間みたいではないか(福岡だが)。熊本からの使徒がどっかり座っていた。こういう時は本屋にでも行くのがベストなのだろう。

 

さて、晩ごはんはもつ鍋のつもりだったので、アミュプラザの店に向かう。列ができ始めたところだったので並ぶが、お一人様は私だけだったので、カップルたちを追い越して早々に店内に入れた。
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一人でつついても非常に美味しかった。

少しお腹を休め、今度はラーメン屋に。f:id:kanbocho:20200524235031j:image

実は豚骨ラーメンはそんな好きではないのだが、福岡との別れを惜しむには最適である。

 

土産物を買い込んで、新幹線ホームへ。

 

時間も時間なので、車内は行きよりは空いている。


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さらば福岡!

 


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伝統芸能にもきちんといそしむ。

旅から帰っている時の私は疲れていたはずだが、これを書いている私も疲れてきて文が短くなってきた。

新大阪止まりのさくらだったので、列車から吐き出された出張族のおっさんに紛れて帰る。結局帰宅は午前0時頃であった。そしてこれを書いている今も午前0時________

今から風呂に入る。読了お疲れ様でした。 全四部 完

長崎旅行記・長崎脱出編

 

さて、ホテルで就寝したもののなかなか寝付けず、おまけに午前4時頃から断続的に目が覚めてしまった。

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若干ぼやけているがホテルの窓から見えた斜面にへばりつく建物に勝手に長崎を感じた。


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7時前に長崎駅に行き、通勤通学の客を吐き出して折り返す普通列車鳥栖ゆきに乗り込む。


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ちなみにホームから見えたこの車両は長崎新幹線ではない。在来線特急である。

 

切り離しをして両数が減ったものの、来たときよりも空いている。それでも発車する頃には立ち客が出る程度にはなった。トンネルの多い新線を経由する。


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単線区間なので市布駅で対抗列車と行き違いをする。レトロな車両である。佐世保から来たようだ。

 

旧線と合流する喜々津で10分程停車し、諫早に到着。途中駅で拾った学生たちを含め多くの乗客がここて降りる。新幹線も乗り入れる予定の大きな駅舎の端っこにある小さな島原鉄道のホームに向かう。

 

黄色い1両のディーゼル車に乗る。ボックスシートになっており、隣のボックスに座っていたスーツ姿の女性はパソコンを広げていたが、すぐに混んできて閉じる羽目になっていた。通路にも客が密集していたが、次の本諫早で先の女性含めほとんど全員が降りてしまった。

 

車窓はだいたい畑でときどき海が見える。夜にしっかり眠れなかったから寝ようかとも思ったが、1時間に満たない乗車でしかもローカル線であるから、寝過ごしたときの代償は大きい。結局寝ずにぼんやりしていた。

 

比良駅(たいらと読む)で降り、徒歩でフェリーの乗り場へ向かう。雲仙市の外れの街だが、国道沿いに郵便局があり生活感がある。

 

ここから熊本県の長洲まで有明フェリーに乗る。長崎県から熊本県へのフェリーの航路の中では最短らしい。旅客よりも車の航送がメインなのかターミナルには車が多く、歩行者は車に紛れて乗り場に行かないといけない。

 

時間もあまりないので人のいない待合室を抜け、薄暗いタラップの入口の券売機で切符を買ってそそくさと乗り込んだ。ちなみに今日の行程では博多からの切符しか事前購入していないので、他の交通機関の切符は全て現地で買うことになっている。



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発着地がマイナーなところだから人は乗っているだろうかと思っていたが、それなりに客はいる。ここでも寝ようかと思ったが、結局起きて船室の外に出たりしていた。

 

長洲で降りて、また車の間を縫ってターミナルを出る。ここから南荒尾駅までバスに乗るつもりだったが、ぱらぱらと小雨が降ってきた。バス停はターミナルから少し離れており、屋根もなくベンチの隣に札が立っているだけである。待ち時間が長いので、もう駅まで歩いて行くことにした。

 

途中スーパーの他にも大型の店が並ぶ大通りに出たが、そこから外れて田んぼの中の細い道を進むと、駅につながる通りに出た。


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一時期は特急の発着駅にもなっていて、立派な駅舎ではあるが、周りには何もない。f:id:kanbocho:20200516195759j:image

金魚のまちらしいが、養殖池などは目につかなかった。グーグルマップを見てみると確かに池は多かったが養殖池なのかはわからない。


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列車の発車時刻が近づくとホームに人が立ち始める。ここから普通列車鳥栖ゆきで3駅先の大牟田に向かう。

 

大牟田西日本鉄道、通称西鉄に乗り換える。切符売場はごった返してたが、ホームは狭く、両数が多いので車内は空いていた。
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乗車したのは特急福岡・天神ゆき。隣の新栄町駅を出ると西鉄柳川まで無停車で、非常に速かった。古そうな車両がよく揺れるので余計そう思わせられる。

 

こぎれいな駅舎の柳川で降りて、舟下りの乗船場に向かう。駅から徒歩ですぐの水郷柳川観光さんの乗り場に到着。手続きを済ませると天気が悪いとのことでカッパを渡された。

書いているとお腹が減ってきたので、今日はここまで。 続

 

 

ごく一般的な日記

こんばんは。今日は旅行記はお休みして、ちゃんと日記を書く。

 

昨日(正確には今日)夜更かししたので12時前に起床。怠惰である。朝ごはんを食べるにはもう遅いので、ご飯とみそ汁は省略してししゃもだけ食べる。

 

スマホにはWeb授業の通知が大量に来ておりげんなり。課題を整理して印刷していると遅い昼ごはんの時間になっていた。

 

カレーを食べてからは寝ている間に溜めてしまった動画の視聴に追われる。

 

まだWeb授業が本格始動してから3日しか経っていないがもう飽きてきた。Web授業では味気なく思えてしまう。授業の「無駄」がないとこうなるのだろうか。とは言っても動画に変な間があるのも耐え難いのだが。

 

多少生活様式が変わったところで、なかなかのんびりはできない。自分の性分なのかもそれない。


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明日は多分楽できるであろうことを期待する。 完

長崎旅行記・続編

さて、崇福寺電停で降りておすすめされた風頭公園へ。調べてみると徒歩20分程度なので潔く歩いていくことにした。しかしこの安易な判断のおかげで痛い目に合った。

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途中特徴的な赤い門があったが、これが電停の名前にもなっている崇福寺だったようだ。中2の鉄研旅行で訪れた時は「正覚寺下」電停だったのだが、名称を変更したようだ。

 

公園は風頭山の山頂にある。細い急な坂を登る。頭を真っ白にして一心で登っていたが…気づけば墓地の中にいた。見渡す限りの墓である。大将は途中お墓のある所も通るとは言っていたが、こんな広大な墓地とは聞いていない。墓地にはあまり長居したくないので急いで階段を登りきりたいところだが、なかなか頂上にはたどり着かない。斜面にあるから開けた明るい墓地ではあるが、人は少なくやはり寂しさを感じる。ときどき階段に座って休む。墓地を脱出しても公園までもうしばらく歩かなければいけなかった。ごく普通の住宅地の中を突き進んでやっと公園の南端に着いた。そこから北上して、展望台で休む。

 

想定以上に体力を消耗してしまった。わざわざ登って来たのだからすぐには下りたくなかったのでしばらくだらける。旅先でわざわざだらだらするのも変だが、悪くない。空はまだ青かったが、夜景が見られる時間までいようかと思って粘る。四方を見渡すと斜面にへばりつくように家が密集している。やがて日が傾き空は黄昏の色になる。f:id:kanbocho:20200511201001j:image

ところで、旅行に出る前に父から「長崎の人はリンガーハットのちゃんぽんがいちばん美味しいと言う」と聞かされたのだが、展望台で会ったサイクリング中の女性にも、リンガーハットをおすすめされてしまった。ガイドブックではちゃんぽんのためにわざわざ見開き1ページも使われていたのだが。

 

夕方まで粘ったが、暗くなってから急な坂を下りるのは心もとないので、結局公園を出ることにした。
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満開の桜を見て、一気に階段を下りていく。途中亀山社中記念館があったが、既に閉館していた。ちゃんとリサーチしておけばよかった。
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風情ある街並みである。途中に小さな墓地があった。多分これが大将の言っていたものだろう。行きは変わったコースで来てしまったのだ。長崎駅からバスも出ていたらしい。

 

市街地に戻ると、最後の観光スポットに向かう。
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この眼鏡橋(眼鏡橋という名前は無論橋の形状に由来するものだが)、何気ないが歴史あるものらしい。と言っても橋なので見物人でごった返すなんてことはなくひっそりしている。

 

さて、その後市電で新地中華街に向かう。中華街も観光スポットにあたるのかもしれないが。食事や買い物の予定はないので今回は雰囲気だけ見ておく。
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華やかではあるが、観光客が減ったからか閑散としており活気はなかった。f:id:kanbocho:20200511212628j:image

中華料理ではないが、名物で小腹を満たす。中華街近くにある岩崎本舗角煮まんじゅうである。

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最早名物ですらないが、定番のライスバーガー海老天も食べる。

長崎駅に戻って、魚も食べたかったので軽く鯛茶漬けも頂いた。
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※暴飲暴食しているように見えますが量は少ないです。

駅前のコンビニでおやつのハーゲンダッツのグリーンティーを買い込んで、ようやくホテルに到着。稲佐山から夜景を見る予定だったが、結局行かなかった。ロープウェイに乗らなかったから料金が浮いてなおかつ大量のカップルも見ずに済んだ、と思っておこう。普通のシングルルームが満室でプレミアムルームに泊まることになっている。部屋の広さもベッドの大きさも全く同じなようで、どこがどうプレミアムなのかはよくわからなかったが。早く寝るつもりだったが、夜遅くになってしまった。旅行では早くに目が覚めてしまうから早めに寝た方がいい。ゆったりしたりあくせくしたり、なかなか落ち着かない1日だった。  続

 

 

長崎一人旅

こんにちは。昨日のうちに投稿しようと思っていたのですが、書こう書こうと思いながらも(やること言えば相棒を見るぐらいのくせに)後回しにしていると1日が過ぎてしまいました。

さて、前回の最後にも言いましたが、直近の旅行で訪れたのは長崎でございます。直近と言っても既に一ヶ月半ほど経過していますが。タイトルの通り一人旅でした。フラフラ旅行することは少なくありませんが、最初から最後まで一人でなおかつ宿泊を伴う旅行は初めてでした。敬体で旅行記を書くのは不慣れで違和感があるので、ここからは文体を変えます。

3/25
早朝に自宅を出て、新大阪から新幹線みずほ号に乗る。乗客は減っているかと思っていたがそんなことはなく、出張のサラリーマンが多かった。隣に座っていたおっさんは出張で新幹線慣れしている風である。自分は旅行趣味と言ってもなかなか新幹線には乗らないから意味もなく嬉しくなってしまう。おっさんは広島で降り、博多を出ると人はめっきり減った。車内では暇だったので宿題をしたが、結局その宿題は今日に至っても未だ提出する機会がないまま家で眠っている。

博多の次の新鳥栖で降り、在来線の特急かもめ号に乗り換える。新幹線の駅舎は立派であるが、残念ながら人気の少ない所である。かもめ号は車体を揺らしながら快走するが、肥前山口を出て単線区間に入るとやはりスピードを落としてしまった。しかし車窓は海苔養殖の筏の浮かぶ穏やかな有明海と咲き誇る菜の花、春の盛りである。この長崎本線は中2の鉄研旅行でも通ったはずであるが、海が見えたことも覚えていなかった。鉄研旅行のようなタイトな旅行では、後になるほど疲れと眠気が増し、感性が鈍っていくのだ。結局今回も途中で寝落ちしてしまったが。諫早で起き、トンネルのばかりの区間を抜けて、終点長崎に到着。長崎新幹線開業に向けて工事の真っ最中である。

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長崎駅前から崇福寺ゆきの路面電車に乗り、終点で降りて予約していた店に向かう。ちょうど昼飯時である。ジャンルで言うと海鮮を中心とした日本料理の店であるが、リサーチしている時から想定はしていたものの、店の雰囲気と店主のクセが強すぎた。どのぐらいクセが強いかと言うと、ここに店名を書くのを控えておこうと思う程度には、である。しかし、堅物に見えた大将は優しく、ごはんも大将のこだわりの分美味しかった。どうやら大将も自分と同じく旅が趣味らしく、日本を出てついには東南アジアの鉄道を乗り回していたらしい。やはりクセが強かった。決して悪い意味ではなく。

昼食を終えると今度は市電で大浦天主堂に向かう。大浦天主堂の電停で降りるとホテルや中華料理屋の巨大なビルがそびえている。坂を登ると立派な天主堂が目に入ってくる。長崎の宝と呼ばれるだけのものである。荘厳かつ秀麗な建築を楽しんで、その歴史を知ると、歩いてグラバー園に向かう。長崎の二大観光地は隣接しているのである。

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グラバー園に入るなりエスカレーターで高台に上がらなければならないようだ。エスカレーターに乗っている途中、不可抗力のもとスタッフの方に記念撮影をされてしまった。エスカレーターを降りた所で先程撮られた写真を買うことができるシステムになっていた。若干高かったので写真を買うのは見送った。今回は小さなカバン1つでやって来たの身軽であるが、お財布事情は(飯代のおかげで)厳しいのである。園内でいちばん高い所からは港を一望できる。様々な建築物が敷地内の各所にあるので一つひとつ見て回ったが、結構時間がかかった。肝心のグラバー邸は鋭意工事中であった。建物そのものより、園内の雰囲気がかつて訪れた愛知県犬山の明治村に似ていることに懐かしさを覚えてしまった。



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メジャーな観光地を訪問したので、もう後の行程は適当である。ここから市電で崇福寺に戻り、歩いて先程の店で大将におすすめされた風頭公園というところに向かう。

長くなったのでここで一旦切る。 続